ナンバーナインブルワリーのレビュー

Number Nine Brewery Beer・ナンバーナインブルワリービール

キーズ パシフィックグリルでナンバーナインブルワリーを飲みました。いつも長いレビューを書きますけどこれはミニレビューです。 ナンバーエイト・ウィートエールの情報 ABV:4.2% IBU:N/A スタイル:スパイスビール・ウィートエール ナンバーエイト・ウィートエールのミニレビュー 目:少し濁ったのゴールデンな黄色です。泡はべたべたの真っ白です。 鼻:ジュニパーベリーとウィートを嗅ぎます。暖かくの時にレモンジュースと皮も嗅ぎます。 舌:コリアンダーとジュニパーの味があります。少しレモンの渋さがあります。ボディーはスムーズですから飲みやすいです。     ナンバーナインIPAの情報 ABV: 5.1% IBU: N/A スタイル:アメリカン・IPA ナンバーナインIPAのミニレビュー 目:ダークのアンバーの色です。泡は真っ白ですけどすぐ消えます。 鼻:木の匂い、キャラメル、松の木の匂いもあります。匂いは少し薄いです。暖かくの時にグラーシな匂いがあります。 舌:あまり苦くないです。木の匂い、キャラメル、松の木を味します。ボディーは薄いですからフレーバーをサポートできません。     ナンバーナイン・コーヒースタウトの情報 ABV: 4.1% IBU: N/A スタイル:コーヒー・スタウト ナンバーナイン・コーヒースタウトのミニレビュー 目:真っ黒ですが泡は少しオフです。泡はすぐ消えます。 鼻:強いコーヒーの匂いがあります。暖かくの時にチョコレートとロスト・モルトの匂いがあります。 舌:強いコーヒーとロスト・モルトを味します。コーヒーの味は強いですけど     ナンバーナイン・ランナーズ・ペールエールの情報 ABV: 1.2% IBU: N/A スタイル:アメリカン・ペール・エール / セッションペールエール ナンバーナイン・ランナーズ・ペールエールのミニレビュー 目:少し濁ったのゴールデンの色です。泡はベタベタな真っ白です。 鼻:グレープフルーツとレモンを嗅ぎます。パイナップルもかぎます。 舌:1.2%ですからアルコールのパンチがありません。ボディーは薄いですけどホップの苦さと味は多いです。レモンとグレープフルーツの味は永く佇みます。とてもすっくりです。

サンクト・ガレン・インタビュー

Sankt Gallen Front・サンクトガレン フロント

過去20年間に日本のビール祭りに行ったことがあるなら、あなたはサンクト・ガレンをもっと見たことでしょう。 日本人のロックスターに合格できるビールを提供している人は、サンクト・ガレンの醸造業者であり、オーナーである岩本さんです。 あなたはまた、おそらく、サンクト・ガレンのSNSを通じたPR努力の背後にいる勤勉な人であり、より一般的に三木として知られる中川さんに会ったこともあります。 彼女はしばしば、新しいバー、新しいビール、そしてビール醸造所自体の中のビデオに関する最新情報を投稿します。 現在の醸造所は2003年以来稼動していますが、サンクト・ガレンの根はずっと古いものです。 日本政府は1994年までビール免許法を緩和しなかったが、岩本さんは父親の団子(餃子)レストランのためにサンフランシスコで醸造していました。 岩本さんは日本に戻って自分の醸造所を開けたいと思っていましたが、米国から輸入されたサンクト・ガレンビールを売った六本木のパブを開いて、最初の一歩を踏み出しました。 自家製醸造の売却は、現在と同じくらい違法であったが、岩本さんはバーで売るために自分の非アルコール性ビールを作りました。 そのパブは、もはや存在していません。 しかし、それは醸造の歴史の重要な部分です。 そこはBaird Bairdと彼の妻SayuriがBairdビールの時代以前に東京に住んでいたとき出会ったところでした。 その話のほとんどは、その当時から秘密に残っているが思い出は岩本さんの顔に、通常よりも大きな笑いをもたらした。 BeerTengokuは、彼が日本のクラフトビールの「オトサン」または父親の姿であるとコメントしました。 彼はあまりにも長い間、日本のクラフトビールに従事しており、それによって苦笑が彼の顔に刻まれました。 岩本さんは福岡出身ですが、日本の醸造所を開設する考えは一度もありませんでした。  東京は彼を引き入れるには余りにも大きかったが、まだ残っています。 当時の厚木地区には、クラフトビールというものはありませんでした。 そこは、安い土地であり、東京へのアクセスが簡単で、岩本さんの父親の餃子店のチェーンの事務所でした。 タンザワ尾根は、サンクト・ガレン醸造所を横切っており、山からの水も醸造所に水を供給しています。 岩本さんのビール醸造への情熱は、それについて話す機会があるたびに表現されます。 そして彼にチャンスを与えれば学ぶ準備をする必要があります。…たくさん! 米国で家庭醸造業者として出発した後、彼は自分の醸造者の免許を所持して、少なくとも4つの醸造所を始動することができる十分な時間があったと冗談します。 彼は約6000バッチのビールを醸造しているし、酵母の問題に至るまで、その時間全体で10回以下のダンプしかしていなかったと推定しました。 家庭の醸造者が専門家の醸造業者となって、それには何が必要なのかについての質問を受けた時の会話でビットを逃さず、彼は「情熱」だと言いました。  あなたは世界のすべてのお金を持つことができますが、醸造プロセスに情熱を持っていなければ、人々が飲みたいビールを作ることはできません。 タスクのいくつかは面倒で疲れていますが、彼は餃子作りの日にこれらのタスクが技術を向上させるのに役立つということを学びました。 もちろん醸造過程が役立ちますが、それらは必要なものの内面と外面を複製することはできません。 1993年に建設された最初の建物は現在の醸造所の後ろにありますが、もはやサンクト・ガレンの所有はありません。 現在の建物への移動は、ビールの需要の増加に対応するために2003年に発生しました。 英国のテレビショー「Doctor Who」を見たことがあるなら、サンクト・ガレンの醸造所はTARDISに非常に似ています。 それは外からは小さいように見えますが、内部を歩いて、小さなパイロットシステムで挨拶されます。 そこでは、契約している醸造所が最初にテストされ、次にスケールアップされます。 その後、ブライトタンク、発酵槽、醸造システムの壁が、輝くステンレス鋼の素晴らしさとしてあなたを迎えます。 各ブリットタンクには2kLのビール(2,000L)が含まれており、発酵槽には4KL(4,000L)が含まれており、醸造システムは、2003年に最初にインストールしたシステムです。 サンクト・ガレンは週に3〜4回は醸造しましたが、彼らは供給が需要に追いつくことができるように二重バッチを生産しました。 さらに、サンクト・ガレンは関東地方のバーやレストランで醸造を請け負い、渋谷のThe Aldgateと新宿の800 Degreesをリピート顧客としています。 三木は、サンクト・ガレンを飲む場所についてつぶやきますが、サンクト・ガレンにはフルタイムの労働者がわずか5人しかいないことは驚くべきことです。販売担当者は誰もいません。 最初からサンクト・ガレンは、彼らのビールをバーやショップに強要したことはありません。 サンクト・ガレンが最初に始めたとき、東京には単3か所のクラフトビールバーがあり、文章を書いている時点では、250以上でした。岩本さんはボトルリングラインが醸造所の成長に重要であることを知っていました。 1時間に1,000本のボトル、すなわち330Lで、1つの発酵槽全体を瓶詰めするのにほぼ一日かかるでしょう。 しかし、醸造所で樽充填場を沿って5人のスタッフ全員は、ビールを得ることに忙しいです。 彼らの販売精神に関する最も驚くべきことは、販売促進のためのフォローアップ訪問をしていないことです。 これを念頭に置いて、そのビールの背後にある気風は、人々が飲みたいなら、それを注文するということです。 賢明な読者は、サンクト・ガレンのラインナップにヴァイツェン、セゾン、ベルギースタイルのビールがないことに気付いたかもしれません。 ほとんどすべての単一の日本のクラフトビール醸造所は、それらのスタイルのうちの少なくとも1つを通常のラインナップの一部として持っています。 シンプルな理由は、岩本さんがBeerTengokuの著名な作家Joeと同じような状況にあり、伝統的にそれらのビールに使われている酵母が腸の問題を引き起こすということです。 さらに、彼はヴァイツェンから独特の香りを見つけます。バナナとクローブも入れません。 他の人がそれを飲むことを好む岩本さんのビール生産への献身は、生産されたビールが、自分の高い基準を満たしていることを保証することはできません。 この献身はまた、サンクト・ガレンからの唯一のフルーツビールが彼らのオレンジゴールドとパイナップルスイートであることを意味します。他のフルーツは、彼らのビールに追加することができるように持って来ません。 それはサンクト・ガレンでの提供があなたの標準的なものであると言っているわけではありません。サンクト・ガレンは、IPAを提供する最初の日本の醸造所の1つでした。彼らの横浜XPAは、他の多くの醸造所がそのスタイルがとてもうまくいくことを知る前に、横浜から供給された水で醸造されました。 彼らのユーモア感覚は、April Foolが発表されるとすぐに売り切れになる年間生産で失われることはありません。 彼らの最も有名な限定版のビールは、「うん、この黒」であり、 “poo black”に翻訳されています。 このビールの反応は面白かったです。数多くの飲む人は、何とか、プーがビールに入ったと思っていました。 …

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Ebina Beer インタビュー

Ebina Beer Interview Front

トーマス・レハーク氏は20年間プラハの交響楽団のメンバーだった。今は彼の妻である史香さんとともにEbina Beerと自ら名付けた醸造所をやっている。 トーマス・レハーク氏はハードワークを哲学としている男である。彼は神奈川県海老名の醸造所を建設する際雇った業者とのトラブルについて語ってくれた。彼らはある業者を雇ったが、何週間もたっても工事は一向に進まない。時間を浪費する彼らの態度についに業を煮やしクビにした。レハーク氏は2週間かけてみっちり自分で醸造所の配線を仕上げた。 「そんなに難しくなかったんだ」と彼は当時の事を思い返した「バーの中も自分で塗ったんだ」と。 彼は忍耐強く、謙虚であり、自己評価をきちんとする。また他人のミスを批判することもしない。そんな彼を垣間見られたのは2017年11月のある日の午後のインタビューの時でした。その時の話題は「名もなき醸造所でも一度は品質の低いビールを作ったであろう」であった。彼の妻でありビジネスパートナーでもある平井史香さんが、我々が過去に飲んだ最悪の国産クラフトビール(そう、あの青くてニンニクの対極的なやつ) の話をききたがっている間、レハーク氏は明らかに寡黙であった。彼は「悪いビールを飲むことは反面教師として良いことだ」と客観的にコメントしていた。 誤解があってはいけないが、レハーク氏自身は彼のレシピで実験することを嫌っているわけではない。居心地の良い彼のブルーパブを訪れる人たちは、彼が提供する物がチェコの伝統的な物 (ご存じのラガーとピルスナーの国である) ばかりじゃないと知ったら驚くでしょう。 ピルスナーが常に繋がっていますが、フルーツビール、コーヒーラガー、アングリートムと呼ばれる恐ろしくスパイシーなチリエールもタップリストの常連です。 レハーク氏は、今日の分裂ビール、大きな古バケツに入っているジュース、すなわちニューイングランドIPAでさえ気にしません。 しかし彼は、ただ単にお客を魅了するだけの実験的なギミックのビールを造ることとは一線を引いている。彼は昔ながらの材料を単に使うのではなく、どの味が合うのかを考えることが大事だと言う。 彼は地元の農産物を使う際にそれを学んだ。彼は”かぼす”をもらったがそれは訳すと”臭苦いオレンジ”である。これは驚きかもしれないが、彼のように試してみると分かるかもしれないが、彼はこの固くて種ばかりの果物に合ったレシピを考えることが出来なかった。彼はこの企画を中止せざるをえなかった。 (かぼすビールを試したい人は、さがみビールへどうぞ、でも警告: ロブはそれをそうとはとらえなかった) 実際に、私たちがインタビューのために来た際、レハーク氏は、最近様々な過程で成功をしていて、ビールにローズマリーを投入しようとしていたと語った。 私は中を見ている間、バーエリアの隣にある醸造所の部屋の材料リストに書かれた “ローズマリー”の文字を見つけてしまったので、彼は話してバランスを取らざるを得なかったのでしょう。 それで、彼が醸造したくない物は何でしょう? 彼が望むすべてのビールを醸造することはできないが、彼は我々にチェコスタイルのビール(タプルリストにはそうあるが)の作り手すなわちチェコ人ブルワーとしてのプレッシャーはないと言った。レハーク氏と平井氏の間に1つの固執点として浮かび上がったのは、平井氏がタップリストにIPAがないことを指摘したときだった 。レハーク氏は顔をしかめたが。 彼はそれを造ることに抵抗していたし、お金を得るためにお客に迎合する必要はないと感じていた。 しかす平井氏はそれがビジネスとして必要と思っている。 (翌月、結局、IPAはタップリストに載りました – 私の父はいつも「妻が幸せなら、人生幸せ」と言っていた) 本題に戻るが、 レハーク氏はチェコのオーケストラの一員として20年間を過ごし、2002年にドヴォルザーク交響楽団の主席指揮者に就任しました。ドヴォルザークの管弦楽を指揮したりチューバで演奏したりした他に、彼の楽団はゲームのファイナルファンタジー、スターウォーズの映画でさえも奏でた。レハーク氏はこれを非常に誇りに思っているそうだ(当たり前でしょう!)、ジョージ・ルーカスと一緒に写真を取るあたり、彼の謙虚な性格が一瞬で嘘に思えた! 彼は40歳になって人生の岐路に立った。人生の半分をオーケストラで過ごした後、大きな変化のための一歩を踏み出す最後のチャンスのような気がした。 「もし私に2つの人生があれば、音楽で続けるだろうが、今は変化の時だ。 もしこのチャンスを逃した場合、それは二度と戻って来ない 」と。 彼は自宅でホームブリューイングにも手を出していたが(お家以外ないでしょ?)、チェコ共和国で事業を行うには、多くのお役所的なことが必要だったこともあって、平井氏の実家のある日本で醸造を始めることにしました。 そこでレハーク氏、平井氏とその2人の子供たちが海老名に移住し、2016年11月に彼ら自身で事業を立ち上げた後、彼らは本格的に醸造を開始しました。 平井氏は財務を管理し(彼女がレハーク氏と出会ったとき彼女はプラハで会計士だった)、パブで働くスタッフが一人しかいなかったこともあり、レハーク氏は醸造プロセス全体を自分でやっている。副醸造者を一から訓練するには1年はかかる。もっとホームブルーワーがこの国にいれば簡単だろうが、ここは日本だ。 いつか多分法律は変わるだろうが、それまではレハーク氏は息子が継いでくれる事を望んでいる。 彼は、醸造ライセンスの申請が認可されるのを待っている間、Jiri Kotynek (日本海倶楽部ビールのコチャスさん)の指導のもとに、そこで1,000リットルのシステムに取り組んだ経験がある。 彼は将来醸造所を拡張する際に同じく1000リットルのシステムを導入するそうだ。 日本海倶楽部にいる間、ビール造りの哲学を発展させようと、彼は様々な種類のビールを試行錯誤した。 「私は地ビールをたくさん試飲したが、誰もがIPA、ペールエール、そしてヴァイツェンを作っている。 驚きはないが、なぜ私は同じことをしなければならないのですか? あと本当に良いピルスナーを作っていた所はほとんどありません。」 そして、レハーク氏は彼のニッチな所と哲学の両方を見つけた。彼はラガーとピルスナーに焦点を当て、ユニークな醸造所を作るためにさまざまなオプションを試した。 彼は彼のすべてのビールを5%の度数に保っている – ハイアルコールは味をダメにする。 彼は夏のために低い度数のビールを考えていたこともあって。 エビナラガーは、Ebina Beerの主力である。 それは、鮮明で味わい深く、フルーティーでホッピーなラガー。 グレープフルーツエールもあり、我々が行った時にタップに繋がっていた。 それは私の好きなフルーツエールの一つである。レハーク氏は独特のスタイルで、最初にレモンのラガー、その後オレンジのビール、最後にグレープフルーツを作りあげた。 Ebinaビールを素晴らしい醸造所にいたらしめるのはこの実験の精神である。 彼らのSNSをフォローしてみて、あなたが好きなビールが出たらすぐに行って試してみてください。いつまたそれがリリースされるかわからないですし! Ebinaビールの今後の計画はどうなんでしょう? レハーク氏は、3年間で財政的に安定し、すべての債務が返済されると見積もっている。 その後、彼は拡大したいと。 「4つの発酵タンクでは十分ではありません。 …

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TDM1874のジュニパーさんのインタビュー

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TDM1874は横浜市西部の郊外にある十日市場という小さな町でビールを醸造しており(我々がこの記事を執筆した時点でちょうど1年)、醸造長のジョージ・ジュニパー氏と彼の作るビールの進化には眼を見張るものがある。彼らが造ったビールは日本各地に広まり、現在は関東の他、新潟、大阪、京都でも飲むことができる。さらに、2017年9月に行われたインターナショナル・ビアカップにて銅メダルを獲得した(ジャパン・ビアフェスティバル)。 店の名前であるTDM1874は、Ten Day Market 1874 の略で、所在地である十日市場を英語表記にして彼らの創業年を加えて名付けられた。彼らは元々坂口屋という日本酒や焼酎の販売取次を行う卸業者である。現在他に2つの酒店を経営し、長左ヱ門商店というオンラインショッピングサイトも運営している。 ここのクラフトビールレストランは最近オープンし、ジュニパーが加わった後、3ヶ月後の2017年1月に醸造資格を取得し、同月の1月27日から醸造を開始した。通常多くの時間がかかる行政の許認可のスピードとしてはおそらく最速記録だろう。 ジュニパーは醸造に関して多様で長いキャリアがある。彼はイギリスのDark Star Brewingで醸造を始めた。この醸造所は高い評価を得ており、Burning Sky Brewery の醸造者はこの醸造所の出身者の1人である。ジュニパーがイギリス・ブライトンの大学生であった頃、彼は出来る時はいつもビールを自宅で作っていた(イギリスでは日本と違い自家醸造は合法である)。そんな彼にチャンスが訪れた。ブライトンのあるパブで彼はDark Starのブルワーと出会い、仕事をオファーされた。ジュニパーはブルワリーになるために学校を退学したのであった。 しかしイギリスの有名なブルワリーにいた彼が、どうして都会から離れた横浜にあるこの小さな店にやってきたのだろうか?私たちがこの質問をすると、ジュニパーは懐かしむような顔をした。 元々彼が2009年に日本にやってきた理由は、日本語能力試験を受けるためであった。イギリスでは毎週日本語の授業を受けていたそうだ。来日後、常陸野ネストビールの製造元である木内酒造の木内洋一氏と出会いスカウトされた。5年間働いていたDark Starに退職を告げ、そして2011年から木内酒造で働き始めた。 しかし木内酒造での仕事は彼の想像と違っていたため、ジュニパーはブリマーブルーイングへ移ることを決めた。そこでジョージは、オーナーのスコット・ブリマー氏の力を借り、ビール造りへの情熱とヘッドブルワーを目指す野心を抱くのであった。 その後、英会話教師をしている時、ジュニパーの友人でビア・キャッツのオーナーであるトッド・スティーブンスが彼に仕事を紹介した。スティーブンスはTDM1874のオーナーの加藤修一氏と交流があり、加藤氏がブルワーを探していると聞き、ジュニパーを勧めた。面接の後、ジュニパーはヘッドブルワーとして雇われることになった。 2016年12月に開店した当初は、醸造のライセンスがまだなかったためタップにビールは繋がっていなかった。そこで彼らはどうしたかと言うと、ありがたいことに、なんと常陸野ネストビールのご好意で醸造所の立ち上げを手伝ってくれたのであった。そのこともあってネストのビールがタップの殆どを占めていた。他のビールは?というとアサヒ スーパードライ(他のビールへの呼び水となる入門用ビール)であった。 そしてわずか2~3ヶ月後、ネストビールは彼らのオリジナルであるTDM1874のポーター、ブリティッシュ・ベスト・ビター、ペールエール、IPAに取って代わられるのであった。彼のポーターはまだ2度ほどしか日の目を見ていないが、ジュニパー曰く、明るくない色の、すなわち濃色のビールを売るのは難しいと言っていた。 ブリティッシュ・ベスト・ビター(BBBとして知られる)は英国ビールファンの間では大きな話題となった。4.5%の度数でイギリスでは至高のセッションビールの代表であり、かなりのカラメル麦芽の風味、British Challenger と East Kent Goldingsホップ由来の木の実を感じる華やかな飲み口である。 IPAは現在6回目の醸造であるが、徐々にブリティッシュのモルティーさからもっとアメリカンスタイルに移行していて、ホップがその特徴に大きく関係している。2回目のIPAはAzaccaホップを使っていて私の好みであった。国産のIPAで最高レベルだが、売り切れてしまった。 ストロング・ペールエールも変化が見られた。バッチにはCentennial ホップをビタリング、Mosaicホップをアロマに使用したことによってストロングペールエールに近づき、それは間違いなく人気である。 ビールの醸造の事となると、ジュニパーを止められる物はいない。当初彼はパブでどんなビールが売れるかを考えなくてはならなかった (セールスの核となる物として)。そして時が経つにつれ、彼の醸造の評判が広まっているが、彼は違う事を始めている。Yokohama Lawnchair(横浜の折り畳みイス)  セッションIPA、とLeitungswasser(水道水) Koelschケルシュ (名前は友人をいじるちょっとしたジョークである)、これらはジュニパーが英国以外のスタイルのビールに精通していて造れることを証明している。 将来ケトルサワー(ベルギーでのサワービールを現在のスタイルより早く醸造するビール)を造るプランがあるとのこと。(これを調べてみて!) 横浜には地物の野菜が安く買えるJAの農産物販売所が沢山あり、ジョージがパンプキンビールを造る話をしても驚きはなかった。それは私の好みのスタイルのビールではないが(網走流氷ドラフトほどではない)、最近人気が出てきている。カボチャと呼ばれる地元産のパンプキンと、シナモン、ジンジャー、ナツメグ、を使ったスムーズでクリーミーなボディのアメリカンなパンプキンエールだ。このコラボはTDM1874が地元の人たちと培った密接な関係から生まれた。今のところ大根ラディッシュのビールの計画はないが、ジョージは果実のセゾンへの想いとこれら新しい”助っ人”たちとのタッグで精力的になれた。 この記事を書いている時点で、このダブルバッチが可能なスペースを備えた400Lのシステムで彼らはすでに16種類ものビールをここで造っている。この醸造所が短期間ですでに実用的であることが証明された。ジョージが唯一のブルワーで(今アシスタントがいるが)、所内の清掃、材料入手、醸造のキツさはジュニパー彼自身に全て降りかかる。醸造日は朝10時から仕事始め、夜は時には20時までの長きにわたる。 清掃の日は細心の注意を払い洗い流す必要がある。誰かがすべての銅のタンクを掃除しなければならない。 前述のように、樽の清掃やビール詰めなどの忙しい時期にはアシスタントがいるが、彼は何でも自分でやる人間で、醸造所内のすべての部分が完璧に高い水準で保たれている。それは醸造所内が40℃以上になる日本の夏の間も。 ビールの瓶詰めについては、彼らは4機の小さなボトリングマシンを持っている。 瓶詰めは沢山の労働力を必要とするようなプロセスで、1日あたり約600本のボトルを詰められる能力を有している。そのTDM1874の瓶ビールは、併設の酒店やオンラインストアで購入できる。 ペールエール、IPA、そして梨ゴーゼが瓶詰めされている。瓶詰めは長いプロセスなので、全てのバッチのビールがボトルで販売されるとは限りませんが、ボトルは人気商品であることはたしかです。 TDM1874の歴史はまだ始まったばかりだが、彼らにとって総じて素晴らしい年であっただろう。あなたが横浜にいるなら、是非そこで地元のビールを飲みながらリラックスしてみてはいかがでしょうか。隣に座っている人がもしかしてジョージかも?と思っている間に、素晴らしいビールを飲んで醸造の事を詳しく聞いていたら、あっという間に夜遅くなってしまうでしょう。

Kazekami Brewery Information

Kazekami Brewery Logo

Kazekami Brewery is a Japanese craft beer brewery located in Kanagawa, Japan. In operation since 2015, the brewery is the result of the efforts of Tanoue-san, the sole brewer and, as we were to find out later, also label designer, bottler, seller – basically the engine of the brewery. The small premises meant that the initial setup, all built by Tanoue-san …

風上麦酒のインタビュー

Tanoue-san with Kazekami Brewery

ごく普通のアパートの中という、ブルワリーとしてあまり一般的ではない場所にあるその小さな赤い店が、今回紹介する2015年創業の風上麦酒製造だ。場所は東急東横線日吉駅とJR横須賀線新川崎駅の間に位置している。オーナーの田上さんは、醸造はもちろん、ラベルのデザインから販売まで全て行なっている。 店舗の賃貸価格や、自宅から近いことなどから、彼はファーストフード店が隣接するこのような場所に小さなブルワリーを構えた。こんな狭い場所にブルワリーが存在するなんて、わたしたはとても驚いた。そして、まず最初に見える窯も容量150lで大きくはなかった。原料の穀類を挽く製粉機は、発酵用の室がわりに使っている3つの冷凍庫横に並んだ棚の間にあった。ナベやマッシュタン、そしてホットリキュールタンクはステンレス製のシートの下にあり、蒸気を建物の外へ直接排出できるようになっている。 オーナーの田上さんは、自宅でビールの製造を始めた。日本では、個人で酒を作ることは厳密に言うと法に触れる。しかしそれは、アルコール度数が1%を超える物を作った場合。(ただし製造者が自作の酒を第三者に売ろうとすれば話は別である。) その頃に彼は一般的なピルスナーやIPAに比べて、クラフトビールにはまだまだ多くのフレーバーやスタイルが存在することに気がついた。さらに、ベルギースタイルのビール市場が賑わっていたことから、彼はオリジナルのレシピによるビール作りに挑戦することを決めた。 それから自身のブルワリーを持つまでは長い道のりだったと田上さんは言う。醸造の許可を得るまでは8ヶ月掛かり、その間一切のビール造りをしてはいけなかった。そこでその間彼はバーで働き、将来の自分のブルワリーでつくりたいビールのスタイルを調べたりしていたそうだ。 わたしがこの記事を書いている今、風上麦酒製造では今回初醸造のクリスマスエールを含む3種類のビールを作っている。これら全てのビールは香りが強く、またアルコール度数も高い。一番低いベルギーIPAで7%だ。田上さんのビールは、豊かで強い香りをもち、独特な原料を好んで使っている。それにより、彼は他にはない独自のIPAを作り出している。 風上麦酒製造のトリペルは、カモミール、ショウガ、リンデンを原材料にしている。わたしたちはこの時初めてリンデンという名前を聞いた。 ベルギーIPAは、トラピスト会の修道士たちの中でも有名なウェストマールと同じイーストが使われている。ほとんどの醸造所がIPAを作っていることから、風上麦酒製造はこのイーストとハースブラッカーホップスのような強烈な香りを誇示したかった。 風上麦酒製造で、アルコール度数が一番高い9%のビールがスタウトだが、原材料に使われているクローブとリンデンの風味が絶妙で、アルコール臭さを感じさせない。 クリスマス・エールはスターアニスやバニラ、チョコレートなど沢山のフレーバーが使われていて、試飲した際にはさらにイチゴの香りも感じることができた。 田上さんにとって、自身が手掛けるビールは全て気に入っているが、日々改良に努めているそうだ。 風上麦酒製造はまだ始まったばかりで、造られたビールを簡単に見つけることは出来ない。(現在Le Petit L’Ouest、Marcian、そしてLiving Yokohamaではタップから味わうことができる)しかし、田上さんには未来への大きな計画があると語ってくれた。

厚木ビール 望月様 インタビュー

Lambic Mochizuki-san

厚木ビールは1997年より操業しています、そしてずっと同じ場所でやっています。 日本のブルワリーとしてはこんなに長く同じ場所でやるのはかなり珍しいです。でも地元の政治家に地域のためにビールを作ってくれと頼まれただけでなく、建物も提供してくれたのにわざわざ引っ越さないでしょ? ブルワリーは神奈川県の丹沢山系の麓にあり、創業以来、望月秀樹氏は独りでブルワリーを営んできました(他にも時々パートさんが週の間に手伝ったりしますが)。日本のブルワーとしては初めてイーストに注目した人の1人だと思われます。ランビックスタイルのビールにも。 望月氏は医療機器メーカーに勤めていた時、新婚旅行で過ごしたドイツで伝統的なスタイルのビールに出会いました。そのスタイルは今の彼らのようで、ただの当時日本で普及していた普通のピルスナーだけではなかったのです。そこでビールに目覚めた後、彼は山梨の甲斐ドラフトビールでドイツ人醸造長に醸造の基礎を教わりました。当時の彼らのビールのスタイルはヘレス、ヴァイツェン、そしてもちろんピルスナーでした。彼が酵母とビールに対する情熱を自覚したのは、新潟県湯沢のエチゴビールのガーナ人醸造長バワ・デムヤコ氏の指導の下で働いていた時でした。 もしどこかのビアフェスティバルで望月氏と話すが機会があったら、彼は息つく暇もなしに話すので、はつらつとした人だと分かるでしょう。酵母の話題になった時ほどそうでした。彼はエチゴビールのデムヤコ氏に開眼させられ、その重要性を認識しました。ブルワリーのそこいらにある試験管は”傾斜試験管”を作るための物でした。細い管には寒天もしくは似たようなよう培養基材、そしてわずかな酵母細胞が入っています。望月氏によれば、彼は50種の異なる株を持っていました。彼が将来のため繁殖して保存し入手するための方法です。 厚木ビールは8,000リットルの容量があり、しばらくはそのようです。ブルワリーは少し窮屈です – 望月氏は中が散らかっていることさえ謝っていました。しかし正直なところ、醸造工程や彼の仕事場のミニ研究所を見られて素晴らしかったです。厚木ビールで作られるビールの大部分は1つの領域を除いては同じでした。それは酵母です。過去に望月氏は液体イースト製造会社の大手であるWhite Labs社やWyeast社が日本から撤退したためにドライ酵母を使わざるをえませんでした。しかしながら彼の酵母コレクションのおかげで彼は自分で始められました。通常のバッチは40リットル程度ですが、これは1,000リットルバッチのために19L超えることができます。そしてそれは全て彼の小さな試験管のオリジナル酵母から作られています。 2000年代の中頃、Thrash Zoneのオーナーであり醸造長である勝木氏は当時駆け出しであった彼のバーのためのハウスビールを造ってくれないかと望月氏にアプローチしました。勝木氏は当時ホップ革命が始まったアメリカの旅行から帰ってきたばかりで、その革命は勝木氏にお告げを与えた悪名高いRussian River 社の Pliny the Elderによってなされました。両氏は似たようなスタイルのビールを造りましたが、望月氏はとてもはっきりと、これはコピーではなく、自分たち自身で挑戦したダブルIPAスタイルのビールであると言っていました。それはすぐに人気になり、そしてそれはいまだに厚木ビールでThrash Zoneと厚木ビールのタップルームであるランビックのために醸造されています。東京の他のバーも厚木ビールにハウスビールを造ってくれと働きかけ、Beer Pub CAMDENはCamden IPA、Good Beer FaucetsはNide Beer Yuzu Dreamがあります。 しかしながら、望月氏は自身で認めていますが、彼はホッピーなIPAが好きではありません。- Camden IPAをすすった時、信じ難い事に気が付きました。それは彼がドイツスタイルのビールにたいする愛を発見した場所ドイツに遡り、また最も興味深いこととしてランビックスタイルのビールを見つけたところでした。ランビックという名前のバー、もちろん、ランビックビールがつながっていないので変だったかもしれません。そして今ある1つのラズベリーフランボワーズは爽快でドライな質感を強調したタルトベリーの酸っぱさをもたらした。 厚木ビールは最初のオープン以来、地元の食材を使う時は、地元の物のフレーバーのビールを造ってきました。厚木のしそ(望月氏いわく日本のバジル)や厚木ハッチーなどいくつかが残り、他は苦しんだ。私の個人的に好きな厚木のスタウトは、かつて三浦半島の海水で造られていました。コストがひどくかさむ前までですが。厚木ビールの2つのハニーエール(厚木ハッチーと厚木ハニーエール)さえ両方別の神奈川県産の蜂蜜を使っています。1つは横浜でもう1つは地元厚木エリアのです。そしてもっとも複雑な醸造は、しかし、厚木の麦膳Bakuzenです。それは柿の葉、ウコン、熊笹(竹のハーブの一種)、ヨクイニンとしょうがを合わせて造ります。これらの添加物のバランスを正しく保つのには1,000リットルのバッチでは難しいが、ちょっとそれは中国の漢方薬を飲んだみたいでした。 20万の人口とアメリカ海軍の基地を抱えるこの市で、厚木ビールが市内唯一のブルワーであることは本当に驚きです。そうとしてもそれは簡単ではなかったはずです。望月氏にビールを造る場所の話をしたら、氏はここが駅近ではないことを嘆いています。現在の場所は本厚木駅から徒歩約20分ですが、それは確かに迷わずに歩いて来ての時間です。飲酒運転に関する法律が厳格で有名な日本ですがそのように、人々はランビックに来ても飲まないで帰ります。 厚木ビールがそのエリアの主なクラフトビールの醸造所の中でそんなに大きくない一方で、サンクトガーレン、彼らは現状で満足しています。この記事を読み終わる頃には、何人かは けやきひろばビール祭り行ってなぜ厚木ビール?と思ったかもしれません。他のアウトサイダーブルーイングみたいなところが出店していないのに。情報によれば、今年のそのイベントは去年そこで一番売ったところしか出店出来ないそうです。したがって、イベントに出るべき小さなブルワリーは追い出されます。望月氏は大きいとこは大々的にPRが出来てビールを売り込めるが、小さいとこは端に追いやられる。とがっかりしていました。 大阪、京都、東京の主要都市に住む人々にとって、ここ5年間に第2のクラフトビールバーのブームが到来しているが飽和点に達しているようには見えません。多くの日本のクラフトビールファンによる議論の1つの骨子は価格です。 – ビールの値段が上がり続けているためです。望月氏は彼のビールの価格への挑戦に関して心配や疑いを表明することを恐れませんでした。バーでのラージサイズの価格がたいてい1,000円であることに関して、彼はこの価格がすぐには下がらないと考えています。そして人々はこのような価格に払う余裕がないです。それはランビックで色々なビールがグラスで600~800円であり、しばらくは据え置きという理由です。若い世代が最近来るようになり、知識伝承の不足で発生するジェネレーションギャップが見られます。- もしかしたらすぐに第2のクラフトビールバブル崩壊がくるかも? ランビックと厚木ビールの未来の話になると、望月氏は10年後にはもう自分の姿が無いのではと冗談を言いました。現在拡張やボトルを増やす計画はなく、ランビックの支店を出すつもりもないとのことです。- 彼は今の小さな規模での操業の柔軟性が気に入っています。彼は出資者ことを心配せずに彼の好きな物を好きな時に醸造できます。彼の1つの大きな問題は、1つで他の小規模醸造所が表明したことで、それはビールを売ろうとしていることです。大規模クラフトビール醸造所がマーケティング部門に投資して拡張していけば、小さいところはやがてバーやレストランに見過ごされてしまう恐れがあります。 それは業界の変遷を見過ぎた人の悲しい考えです。もしあなたがクラフトビールのバーに居るなら、よく知られているビールだけでなく、他の入ってくるビールを頼むようにしてください。 末木 広明です。

Yorocco Beer Information

Yorocco Beer Logo

Yorocco Beer is a craft beer brewery located in Zushi, Kanagawa prefecture that opened in September 2012. The owner and head brewer, Kichise-san started out owning a bar in Enoshima for almost a decade before moving into the brewing business. Yorocco Beer originally started out serving beer to local restaurants and bars in the area and Beach Muffin in Zushi …

Atsugi Beer Information

Atsugi Beer Logo

Atsugi Beer is a brewery located in Atsugi-shi, western Kanagawa and was founded in 1997. The owner and head brewer, Mochizuki-san, first discovered beer on a trip to Germany on his honeymoon which convinced him about the craftsmanship and dedication needed in making beer. His first brewery experience was with a winery, Yamato Budōshū in Yamanashi, which eventually branched out …

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Sagami Beer by Koganei Shuzo Information

Sagami Beer Line up

You may have heard of Sagami Beer, but have you heard of Koganei Shuzo? If not, then it is not a big surprise as they are better known for being a sake distillery rather than a beer producer. The distillery is located in the foothills of the Tanzawa range of mountains in western Kanagawa, near Atusgi city and they started …