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ワイマーケットブルーイングインタビュー

Y Market Brewing Front

名古屋への旅行は恐らくお気に入りの旅行の一つである。アクセスしたいすべてのものがすぐ近くにある。駅から市内中心部(新横浜)に行くための電車の乗り換え、不気味な建物(京都)から逃げるために歩き回り、実際の都市(金沢!)に行くためにバスに乗る必要はない。そして名古屋では、歴史と飲酒の両方の観点から、柳橋エリアは外せない。 柳橋市場は早朝から開いており、地元の飲食店やバーに新鮮な食材を供給し、地元の人々も港に運ばれた新鮮な魚を探している。市場は明治初期(1868年頃)からある。市場の朝は、かつては活気があったが、時が経つにつれて、スーパーマーケットがこれらの個人商店にとって代わるようになり、このエリアは廃れていってしまった。 大正時代の1920年代にオープンした、市場に残る数少ない酒屋の一つである「酒の岡田屋」に入っていく。柳橋市場の北端に位置するこの店では、さまざまな種類の日本酒、ワイン、クラフトビールを販売しており、この地域のバーの販売店としても営業している。このエリアの多くのバーの親会社は、酒の岡田屋が名古屋地区にクラフトビールバーをオープンすることを許可した。 クラフトビール ケグ ナゴヤは、2009年にオープンした国内ビール専用の最初のクラフトビールバーである。地元の別の醸造所である盛田金しゃちのタップルーム、地元クラフトビールの需要が足りなかったために2000年代後半に閉店したビアサーカスの後にオープンした。2009年は地元の人たちが名古屋でクラフトビールの始まりだと思ったもう1つの重要な年である。これは大胆な主張だが、それ以来多くのバーがオープンしていると見ていると、否定はできない。 しかし、柳橋エリアは国内クラフトビールの突然の取り込みによる利益を得ていなかった。 酒の岡田屋の社長、ヤマモトヤスヒロさんは、市場を取り巻くこの地域で育った。しかし、時間の経過とともに変化するのを見て、市場を活性化するために何かしなければならないと悟ったのだ。日が暮れると地元のバーに頻繁に出入りする人混みを見て、名古屋の中心部で初めて醸造所を開くというアイデアに至った。 ヤマモトさんの成長にとって市場が重要な役割を果たしているため、この地域が醸造所で大きな役割を果たしているのは当然のことだった。しかし、醸造所を開設するよりも、主に必要な土地の面積と最初からの経済的要求のために、ブルーパブがその地域に適していると判断された。その土地へのオマージュとして、そのブルーパブはワイ(Y)マーケットブルーイングと名付けられ、2014年3月にオープンした。 カチさんは、ワイマーケットブルーイングの醸造責任者で、我々が訪問する日はお休みの予定だった。しかし、野球の試合のためにビールを買いに少し立ち寄るつもりだったものが、ナカニシさん(読売ジャイアンツの熱烈なファン)も一緒に醸造の側面について談笑することになった。 カチさんもナカニシさんも日本のクラフトビールにまつわる歴史は長い。 カチさんは、惜しまれつつも2018年に閉店した木曽路ビールを開業し、ナカニシさんは伊勢角屋で醸造を始めて、2019年も引き続き好調である。しかし醸造への道のりはどちらも、それほど順調だったわけではない。 カチさんがクラフトビールの世界に飛び込んだのは、日本ではなくカナダだった。彼は交換留学生として勉強していたが、お金が足りず、さらに必要だということに気付いた。海外留学は、とても高額な勉強方法である。地元のバーで仕事を見つけることは、大きなマクロビールではなく、より多くのお金が手に入り、地元で作られたビールと接することができる。また、カナダでは、カチさんは20年以上の経験を持つ有名なカナダの醸造家であるリュック・ビム・ラフォンテーヌと出会い、デュー・デュ・シエル(カナダ)と、うしとら(日本)での経験があり、現在はカナダに戻って自身の醸造所「ゴッドスピード」を所有している。ラフォンテーヌはカチさんに自家醸造を始めることにお金を費やすよう説得し、一人の醸造者が誕生した。 2人の醸造者が加わり、ブルーパブの準備が整ったため、最初の醸造の申請全体は比較的苦労しなかった。当初の予定は500ℓの設備だったが、鳥取のある醸造所が当時閉業したばかりだったので、1000ℓの設備を購入し、今日まで使用している。ヤマモトさんは自由な決済権を2人に与えていたので、カチさんとナカニシさんは自分たちが飲みたいと思うビールの醸造を始めた。ワイマーケットブルーイングは、ペールエールとIPAからスタートした。両方ともアメリカの影響を強く受け、そのビールにはアメリカ産ホップがふんだんに使用された。 二人の醸造者は、ドリンカビリティ(飽きずに飲み続けられるか)のあるビールを作りたいということに関しては、しっかりと合意していた。ビールは、アルコール、ホップ、またはモルトの点で高くても低くもなるが、何度も飲めるものでなければならない。しかも1回や2回だけではなく、何回もである。飲みやすいビールほど、何度も飲みたくなるものだ。スカイペールエールシリーズなど、ワイマーケットブルーイングのラインナップの中にはいくつかの確固たる存在があるが、限定版と季節品はたいていこのペアがシェアし、試してみたいというアイデアから産まれたものである。 ビールの名前の付け方は、いくつかの名前が表しているようにランダムではない。スカイペールエールシリーズは、パープルスカイペールエール、イエロースカイペールエール、オレンジスカイペールエールなど、すべて色が含まれている。すべては二人が共有した経験に由来している。パープルスカイペールエールは、カチさんがカナダで経験した高温多湿の天候に加えて、濃くて暗い雲の雲系に由来している。イエローペールエールは、日本のシトロンとして知られる柚子を思い出させる。オレンジペールエールは、既に推測できたかもしれないが、「不知火(しらぬい)」と呼ばれる九州で見られると噂されている未知の炎のオレンジ色を思い出させるのである。 2015年にワイマーケットブルーイングは、需要があるかどうかを確認するための実験として、人気のあるビールのいくつかを瓶詰めし始めた。しかしブルーパブの小さい空間では瓶詰めする能力が低いので、ワイマーケットブルーイングは静岡の御殿場高原に、ビールの醸造と瓶詰めを手伝ってもらった。しかしワイマーケットの人気が高まるにつれて、1000ℓがワイマーケットブルーイングの成長を助けるのではなく、妨げになっていった。一週間の最大生産キャパシティでも、作るよりも早くビールが売れていくため、新しい醸造所を開く必要があった。 2018年11月、ワイマーケットブルーイングは名古屋の街の中心から北に約8㎞離れた新川の北にある小さな工業地帯に、新しい醸造所をオープンした。醸造所の容量ははるかに大きく、30 キロℓ以上の発酵と3つの明るいビールタンクも使用可能である。システム自体も、通常の日本の醸造所ではなくアメリカの醸造所の一般的な設備を備えており、ワールプールタンク(沸騰後およびビールの冷却中により多くのホップフレーバーを与えるために使用)、連なった4つのホップロケット(単一の醸造所では執筆時の日本最大)、およびシエラネバダによって有名になったポータブルホップトルネードもある。 2019年、ワイマーケットブルーイングはビールの瓶詰めから缶詰めへ、拡大し続けるプロセスに移行した。3500ℓバッチの3分の1が缶詰めへ、残りが日本中のバーへの販売のための樽詰めに回される。ただしこの新しい醸造所ができたことで、タップルームにある元の醸造所をクローズするということではない。人気のあるビールは大きなシステムで醸造され、テスト醸造はタップルームシステムで行われる。Lupulin NectarやLa Mosiqueなどのビールが人気になった場合、これらは将来の販売のために缶詰めされる。 缶詰めへの移行は簡単ではなかった。缶を手に取って見てみると、側面のシンプルな色のラベルは意図的な設計プロセスではなかった。ビール缶で直面した主な課題は、缶に使用される元のラベルはフィルムの上に生成され、それが缶にフィットするように熱収縮されたときに缶が押しつぶされてしまうことだった。そのため、ラベルのアイデアが生まれたのだ。しかし、ナカニシさんは、ラベルで使用する色がどんどん増えるので、次にどんな色が来るのかと冗談を交えながら話した。 カチさんもナカニシさんも、Cascade、Culmination、50/50、Hereticなどの国内および海外の醸造所とのコラボレーションに興味があり、現在計画中で、既に行われたものもある。 ワイマーケットブルーイングは、良い理由によって、短期間で大きな進歩を遂げた。実権を握っている2人の醸造者が目標を明確にし、社長が彼らに完全なコントロールを任せている。これは日本のビジネス志向の環境では珍しいことなのだ。次にクラフトビールバーを訪れてワイマーケットブルーイングを見かけたときは、クラフトビールが街の小さなエリアを救うと信じた人によってすべてが始まったことを覚えておくべきだろう。

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TDM1874のジュニパーさんのインタビュー

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TDM1874は横浜市西部の郊外にある十日市場という小さな町でビールを醸造しており(我々がこの記事を執筆した時点でちょうど1年)、醸造長のジョージ・ジュニパー氏と彼の作るビールの進化には眼を見張るものがある。彼らが造ったビールは日本各地に広まり、現在は関東の他、新潟、大阪、京都でも飲むことができる。さらに、2017年9月に行われたインターナショナル・ビアカップにて銅メダルを獲得した(ジャパン・ビアフェスティバル)。 店の名前であるTDM1874は、Ten Day Market 1874 の略で、所在地である十日市場を英語表記にして彼らの創業年を加えて名付けられた。彼らは元々坂口屋という日本酒や焼酎の販売取次を行う卸業者である。現在他に2つの酒店を経営し、長左ヱ門商店というオンラインショッピングサイトも運営している。 ここのクラフトビールレストランは最近オープンし、ジュニパーが加わった後、3ヶ月後の2017年1月に醸造資格を取得し、同月の1月27日から醸造を開始した。通常多くの時間がかかる行政の許認可のスピードとしてはおそらく最速記録だろう。 ジュニパーは醸造に関して多様で長いキャリアがある。彼はイギリスのDark Star Brewingで醸造を始めた。この醸造所は高い評価を得ており、Burning Sky Brewery の醸造者はこの醸造所の出身者の1人である。ジュニパーがイギリス・ブライトンの大学生であった頃、彼は出来る時はいつもビールを自宅で作っていた(イギリスでは日本と違い自家醸造は合法である)。そんな彼にチャンスが訪れた。ブライトンのあるパブで彼はDark Starのブルワーと出会い、仕事をオファーされた。ジュニパーはブルワリーになるために学校を退学したのであった。 しかしイギリスの有名なブルワリーにいた彼が、どうして都会から離れた横浜にあるこの小さな店にやってきたのだろうか?私たちがこの質問をすると、ジュニパーは懐かしむような顔をした。 元々彼が2009年に日本にやってきた理由は、日本語能力試験を受けるためであった。イギリスでは毎週日本語の授業を受けていたそうだ。来日後、常陸野ネストビールの製造元である木内酒造の木内洋一氏と出会いスカウトされた。5年間働いていたDark Starに退職を告げ、そして2011年から木内酒造で働き始めた。 しかし木内酒造での仕事は彼の想像と違っていたため、ジュニパーはブリマーブルーイングへ移ることを決めた。そこでジョージは、オーナーのスコット・ブリマー氏の力を借り、ビール造りへの情熱とヘッドブルワーを目指す野心を抱くのであった。 その後、英会話教師をしている時、ジュニパーの友人でビア・キャッツのオーナーであるトッド・スティーブンスが彼に仕事を紹介した。スティーブンスはTDM1874のオーナーの加藤修一氏と交流があり、加藤氏がブルワーを探していると聞き、ジュニパーを勧めた。面接の後、ジュニパーはヘッドブルワーとして雇われることになった。 2016年12月に開店した当初は、醸造のライセンスがまだなかったためタップにビールは繋がっていなかった。そこで彼らはどうしたかと言うと、ありがたいことに、なんと常陸野ネストビールのご好意で醸造所の立ち上げを手伝ってくれたのであった。そのこともあってネストのビールがタップの殆どを占めていた。他のビールは?というとアサヒ スーパードライ(他のビールへの呼び水となる入門用ビール)であった。 そしてわずか2~3ヶ月後、ネストビールは彼らのオリジナルであるTDM1874のポーター、ブリティッシュ・ベスト・ビター、ペールエール、IPAに取って代わられるのであった。彼のポーターはまだ2度ほどしか日の目を見ていないが、ジュニパー曰く、明るくない色の、すなわち濃色のビールを売るのは難しいと言っていた。 ブリティッシュ・ベスト・ビター(BBBとして知られる)は英国ビールファンの間では大きな話題となった。4.5%の度数でイギリスでは至高のセッションビールの代表であり、かなりのカラメル麦芽の風味、British Challenger と East Kent Goldingsホップ由来の木の実を感じる華やかな飲み口である。 IPAは現在6回目の醸造であるが、徐々にブリティッシュのモルティーさからもっとアメリカンスタイルに移行していて、ホップがその特徴に大きく関係している。2回目のIPAはAzaccaホップを使っていて私の好みであった。国産のIPAで最高レベルだが、売り切れてしまった。 ストロング・ペールエールも変化が見られた。バッチにはCentennial ホップをビタリング、Mosaicホップをアロマに使用したことによってストロングペールエールに近づき、それは間違いなく人気である。 ビールの醸造の事となると、ジュニパーを止められる物はいない。当初彼はパブでどんなビールが売れるかを考えなくてはならなかった (セールスの核となる物として)。そして時が経つにつれ、彼の醸造の評判が広まっているが、彼は違う事を始めている。Yokohama Lawnchair(横浜の折り畳みイス)  セッションIPA、とLeitungswasser(水道水) Koelschケルシュ (名前は友人をいじるちょっとしたジョークである)、これらはジュニパーが英国以外のスタイルのビールに精通していて造れることを証明している。 将来ケトルサワー(ベルギーでのサワービールを現在のスタイルより早く醸造するビール)を造るプランがあるとのこと。(これを調べてみて!) 横浜には地物の野菜が安く買えるJAの農産物販売所が沢山あり、ジョージがパンプキンビールを造る話をしても驚きはなかった。それは私の好みのスタイルのビールではないが(網走流氷ドラフトほどではない)、最近人気が出てきている。カボチャと呼ばれる地元産のパンプキンと、シナモン、ジンジャー、ナツメグ、を使ったスムーズでクリーミーなボディのアメリカンなパンプキンエールだ。このコラボはTDM1874が地元の人たちと培った密接な関係から生まれた。今のところ大根ラディッシュのビールの計画はないが、ジョージは果実のセゾンへの想いとこれら新しい”助っ人”たちとのタッグで精力的になれた。 この記事を書いている時点で、このダブルバッチが可能なスペースを備えた400Lのシステムで彼らはすでに16種類ものビールをここで造っている。この醸造所が短期間ですでに実用的であることが証明された。ジョージが唯一のブルワーで(今アシスタントがいるが)、所内の清掃、材料入手、醸造のキツさはジュニパー彼自身に全て降りかかる。醸造日は朝10時から仕事始め、夜は時には20時までの長きにわたる。 清掃の日は細心の注意を払い洗い流す必要がある。誰かがすべての銅のタンクを掃除しなければならない。 前述のように、樽の清掃やビール詰めなどの忙しい時期にはアシスタントがいるが、彼は何でも自分でやる人間で、醸造所内のすべての部分が完璧に高い水準で保たれている。それは醸造所内が40℃以上になる日本の夏の間も。 ビールの瓶詰めについては、彼らは4機の小さなボトリングマシンを持っている。 瓶詰めは沢山の労働力を必要とするようなプロセスで、1日あたり約600本のボトルを詰められる能力を有している。そのTDM1874の瓶ビールは、併設の酒店やオンラインストアで購入できる。 ペールエール、IPA、そして梨ゴーゼが瓶詰めされている。瓶詰めは長いプロセスなので、全てのバッチのビールがボトルで販売されるとは限りませんが、ボトルは人気商品であることはたしかです。 TDM1874の歴史はまだ始まったばかりだが、彼らにとって総じて素晴らしい年であっただろう。あなたが横浜にいるなら、是非そこで地元のビールを飲みながらリラックスしてみてはいかがでしょうか。隣に座っている人がもしかしてジョージかも?と思っている間に、素晴らしいビールを飲んで醸造の事を詳しく聞いていたら、あっという間に夜遅くなってしまうでしょう。

厚木ビール 望月様 インタビュー

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厚木ビールは1997年より操業しています、そしてずっと同じ場所でやっています。 日本のブルワリーとしてはこんなに長く同じ場所でやるのはかなり珍しいです。でも地元の政治家に地域のためにビールを作ってくれと頼まれただけでなく、建物も提供してくれたのにわざわざ引っ越さないでしょ? ブルワリーは神奈川県の丹沢山系の麓にあり、創業以来、望月秀樹氏は独りでブルワリーを営んできました(他にも時々パートさんが週の間に手伝ったりしますが)。日本のブルワーとしては初めてイーストに注目した人の1人だと思われます。ランビックスタイルのビールにも。 望月氏は医療機器メーカーに勤めていた時、新婚旅行で過ごしたドイツで伝統的なスタイルのビールに出会いました。そのスタイルは今の彼らのようで、ただの当時日本で普及していた普通のピルスナーだけではなかったのです。そこでビールに目覚めた後、彼は山梨の甲斐ドラフトビールでドイツ人醸造長に醸造の基礎を教わりました。当時の彼らのビールのスタイルはヘレス、ヴァイツェン、そしてもちろんピルスナーでした。彼が酵母とビールに対する情熱を自覚したのは、新潟県湯沢のエチゴビールのガーナ人醸造長バワ・デムヤコ氏の指導の下で働いていた時でした。 もしどこかのビアフェスティバルで望月氏と話すが機会があったら、彼は息つく暇もなしに話すので、はつらつとした人だと分かるでしょう。酵母の話題になった時ほどそうでした。彼はエチゴビールのデムヤコ氏に開眼させられ、その重要性を認識しました。ブルワリーのそこいらにある試験管は”傾斜試験管”を作るための物でした。細い管には寒天もしくは似たようなよう培養基材、そしてわずかな酵母細胞が入っています。望月氏によれば、彼は50種の異なる株を持っていました。彼が将来のため繁殖して保存し入手するための方法です。 厚木ビールは8,000リットルの容量があり、しばらくはそのようです。ブルワリーは少し窮屈です – 望月氏は中が散らかっていることさえ謝っていました。しかし正直なところ、醸造工程や彼の仕事場のミニ研究所を見られて素晴らしかったです。厚木ビールで作られるビールの大部分は1つの領域を除いては同じでした。それは酵母です。過去に望月氏は液体イースト製造会社の大手であるWhite Labs社やWyeast社が日本から撤退したためにドライ酵母を使わざるをえませんでした。しかしながら彼の酵母コレクションのおかげで彼は自分で始められました。通常のバッチは40リットル程度ですが、これは1,000リットルバッチのために19L超えることができます。そしてそれは全て彼の小さな試験管のオリジナル酵母から作られています。 2000年代の中頃、Thrash Zoneのオーナーであり醸造長である勝木氏は当時駆け出しであった彼のバーのためのハウスビールを造ってくれないかと望月氏にアプローチしました。勝木氏は当時ホップ革命が始まったアメリカの旅行から帰ってきたばかりで、その革命は勝木氏にお告げを与えた悪名高いRussian River 社の Pliny the Elderによってなされました。両氏は似たようなスタイルのビールを造りましたが、望月氏はとてもはっきりと、これはコピーではなく、自分たち自身で挑戦したダブルIPAスタイルのビールであると言っていました。それはすぐに人気になり、そしてそれはいまだに厚木ビールでThrash Zoneと厚木ビールのタップルームであるランビックのために醸造されています。東京の他のバーも厚木ビールにハウスビールを造ってくれと働きかけ、Beer Pub CAMDENはCamden IPA、Good Beer FaucetsはNide Beer Yuzu Dreamがあります。 しかしながら、望月氏は自身で認めていますが、彼はホッピーなIPAが好きではありません。- Camden IPAをすすった時、信じ難い事に気が付きました。それは彼がドイツスタイルのビールにたいする愛を発見した場所ドイツに遡り、また最も興味深いこととしてランビックスタイルのビールを見つけたところでした。ランビックという名前のバー、もちろん、ランビックビールがつながっていないので変だったかもしれません。そして今ある1つのラズベリーフランボワーズは爽快でドライな質感を強調したタルトベリーの酸っぱさをもたらした。 厚木ビールは最初のオープン以来、地元の食材を使う時は、地元の物のフレーバーのビールを造ってきました。厚木のしそ(望月氏いわく日本のバジル)や厚木ハッチーなどいくつかが残り、他は苦しんだ。私の個人的に好きな厚木のスタウトは、かつて三浦半島の海水で造られていました。コストがひどくかさむ前までですが。厚木ビールの2つのハニーエール(厚木ハッチーと厚木ハニーエール)さえ両方別の神奈川県産の蜂蜜を使っています。1つは横浜でもう1つは地元厚木エリアのです。そしてもっとも複雑な醸造は、しかし、厚木の麦膳Bakuzenです。それは柿の葉、ウコン、熊笹(竹のハーブの一種)、ヨクイニンとしょうがを合わせて造ります。これらの添加物のバランスを正しく保つのには1,000リットルのバッチでは難しいが、ちょっとそれは中国の漢方薬を飲んだみたいでした。 20万の人口とアメリカ海軍の基地を抱えるこの市で、厚木ビールが市内唯一のブルワーであることは本当に驚きです。そうとしてもそれは簡単ではなかったはずです。望月氏にビールを造る場所の話をしたら、氏はここが駅近ではないことを嘆いています。現在の場所は本厚木駅から徒歩約20分ですが、それは確かに迷わずに歩いて来ての時間です。飲酒運転に関する法律が厳格で有名な日本ですがそのように、人々はランビックに来ても飲まないで帰ります。 厚木ビールがそのエリアの主なクラフトビールの醸造所の中でそんなに大きくない一方で、サンクトガーレン、彼らは現状で満足しています。この記事を読み終わる頃には、何人かは けやきひろばビール祭り行ってなぜ厚木ビール?と思ったかもしれません。他のアウトサイダーブルーイングみたいなところが出店していないのに。情報によれば、今年のそのイベントは去年そこで一番売ったところしか出店出来ないそうです。したがって、イベントに出るべき小さなブルワリーは追い出されます。望月氏は大きいとこは大々的にPRが出来てビールを売り込めるが、小さいとこは端に追いやられる。とがっかりしていました。 大阪、京都、東京の主要都市に住む人々にとって、ここ5年間に第2のクラフトビールバーのブームが到来しているが飽和点に達しているようには見えません。多くの日本のクラフトビールファンによる議論の1つの骨子は価格です。 – ビールの値段が上がり続けているためです。望月氏は彼のビールの価格への挑戦に関して心配や疑いを表明することを恐れませんでした。バーでのラージサイズの価格がたいてい1,000円であることに関して、彼はこの価格がすぐには下がらないと考えています。そして人々はこのような価格に払う余裕がないです。それはランビックで色々なビールがグラスで600~800円であり、しばらくは据え置きという理由です。若い世代が最近来るようになり、知識伝承の不足で発生するジェネレーションギャップが見られます。- もしかしたらすぐに第2のクラフトビールバブル崩壊がくるかも? ランビックと厚木ビールの未来の話になると、望月氏は10年後にはもう自分の姿が無いのではと冗談を言いました。現在拡張やボトルを増やす計画はなく、ランビックの支店を出すつもりもないとのことです。- 彼は今の小さな規模での操業の柔軟性が気に入っています。彼は出資者ことを心配せずに彼の好きな物を好きな時に醸造できます。彼の1つの大きな問題は、1つで他の小規模醸造所が表明したことで、それはビールを売ろうとしていることです。大規模クラフトビール醸造所がマーケティング部門に投資して拡張していけば、小さいところはやがてバーやレストランに見過ごされてしまう恐れがあります。 それは業界の変遷を見過ぎた人の悲しい考えです。もしあなたがクラフトビールのバーに居るなら、よく知られているビールだけでなく、他の入ってくるビールを頼むようにしてください。 末木 広明です。

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Ishikawa Shuzo Interview with Yahachiro Ishikawa

Ishikawa Shuzo Logo

Fussa, located in the western reaches of Tokyo city, is a city that is more well known to Westerners for the US air base situated in the Yokota area; however, Ishikawa Shuzo, makers of the Tama no Megumi range of beer, has a much longer history and connection with the Tama area. They have been craft beer since 1998, when …

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Interview with Kakui-san from Chateau Kamiya

Chateau Kamiya

Chateau Kamiya, located in Ushiku, Ibaraki is a brewery so steeped in the history of western alcohol in Japan, that it’s hard to understand why it isn’t bigger than it is. They’ve been making wine here since the Meiji era and were, along with the original Spring Valley Brewery in Yokohama, one of the first to be making beers brewed …

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Shonan Beer Interview at Kumazawa Brewing

Shonan Beer Awards

Not many people will be aware that Shonan Beer, brewed by Kumazawa Brewing, is actually an offshoot of a sake brewery located in the middle of nowhere. Found in Kagawa, about ten minutes north of Chigasaki on the Sagami Line, Kumazawa Brewing has been around for over 140 years, though it’s only since 1996 that they have been brewing Shonan …

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Brimmer Brewing Interview

Brimmer Beer Interview Scott

BeerTengoku spent a brisk November morning getting under the feet of the busy folks at Brimmer Brewing out in Kuji, Kawasaki City. Kuji is not exactly a bucolic paradise. Served by a single tiny station, the primary industry appears to be mainly garbage-centric. As we walked along the trickle of a river towards Brimmer Brewing on this chilly morning, we …

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Interview with Mark Major, Outsider Brewing

Outsider Brewing Mark and Niwa-san

If Niwa-san is the brains of Outsider Brewing, then Mark is the brawn of it. A strange analogy to use but without either of the pair, Outsider Brewing would not exist in its current form. When BeerTengoku went to meet them, we first met Niwa-san, interview here, and Mark walked in confidently about twenty minutes later, sharing jokes with Niwa-san and injecting …

Interview with Niwa-san from Outsider Brewing

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For those knowledgeable about the Japanese craft beer scene, Niwa-san from Outsider Brewing could be revered with a quasi-deity like status among brewers in Japan. For those new to the scene or without much interest, you may have already tried some of his beers without realizing, with Iwate Kura being a good showcase to start from. Niwa-san was modest to …

Bay Brewing Yokohama Interview

Bay Brewing Yokohama Brewmaster, Shinya Suzuki.

It seems that every couple of months, a new brewery opens up in Japan riding the coat tails of the craft beer revolution. Yet Bay Brewing Yokohama was one of the first brewpubs to have come through the process with a reputation for great beer. That reputation came about because of Shinya Suzuki, the brew master of Bay Brewing Yokohama. …